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きょうのテニス スクールで週3プレーヤーの「きょう」です。敗戦覚悟、試行錯誤がモットーかな。

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今年はコーチと20往復

今日は、ボレストをした。
コーチのボレーに対してストロークをするときは、やはり他の生徒さんと打つ時よりかなり意識を変えている。他の生徒さんとするときももちろん真剣なつもりでいるけれど、コーチと打つときは、さらに集中力が研がれている感覚がある。

5往復も続けば、それまでフォアばかりに打ってくれていたコーチからの返球が、バックへも来るようになる。
最初は、伺うように、柔らかいバックハンドへの返球が来る。
それを私がクリアできると、次はスライス回転が混ざってくる。
バック側に来たスライスは、とにかくミスしないように無難な返球しかできないが、それでも繋いでいると、そのうち、前後に振られるようになる。
浅いボールを前屈みに取るとき、ロブを上げようか?と一瞬考えるが、コーチの後ろにボールを入れたかごがあるから、低めに返球する。
私がミスするのは、前へおびき出された後、下がらせられながらのバックハイボレーが多い。
せっかくここまで続けられたのに、と、非常に悔しい気持ちになる。コーチは、にやり、と不敵に笑う。

長ければ、20往復くらいは続く。
でも一度途切れてしまうと、次のボールは、大抵すぐミスする傾向がある。集中も一緒に途切れてしまうのだろう。
試合でも、玉出しでも、一球目によくミスするのは、この集中の弱さだろうと、よく思う。
ここは、私の来年の課題だ。

でも。
20往復、コーチとボレストやストロークが続けられるようになった。
これは、今年の私の成長だ。
コーチと打っていると、どこを狙おうとしているか、が、感じられるので、自分の弱さを実感できる。
そういう、言葉には表現しにくいが、ボールで感じる会話を楽しいと思う。
来年の終わりにどのくらい成長しているか、今から楽しみに感じて、にやり、と笑う。
こんな風に自分に自信のある夢を持てるのは、ホント、テニスの世界に於いてだけだけれど、それをとても嬉しいことだと思う。

来年も、頑張りたいですね。
投稿者 きょう 00:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

小さな気付き

上達は、小さな積み重ねだと、つくづく思う。

スピンを打つとき、足元がふらふらして、前足に体重が乗りすぎてしまう癖があった。
その答えがようやく分かった。
「きょうちゃん!つま先だっているからだよ!かかとをつけないと」
それをコーチが発見してくれて、打ってみれば、急激な変化が私を襲った。
回転はかかっているのに…と常に私が感じていた違和感を、ようやく払拭する事ができた。
こういう日が突然巡ってくるから、練習は、やめられない。

ボレーで構える時に、かかとを上げる習慣で、ストロークの時にもつま先立っているのだ、と、つい昨日知った。

「スピンを打つときは、後ろ足のかかとを地面に付ける」
「スピンを打つときのテイクバックは、手のひらを下に向ける」
「スピンを打つときは、膝を回す続きに腰を回して腕も付いてくる」
私の頭の中にテニス辞書というものがあるとすれば、そこには、こういう細かな注意が、箇条書きになっているだろう。

細かい気付きの積み重なりが、私を上達へと導いてくれる。
運動能力の高い男の子なんかは、言われる前からコーチの動きをまねて、感覚を掴み、その日のうちにできるようになっていたりして、本当に羨ましいけど、私はとてもそんな風にはできないから、1つずつ言葉を重ねてもらって、小さな積み重ねを繰り返して、うまくなれたらいいわ。

投稿者 きょう 23:20 | コメント(0)| トラックバック(0)

人と深く関わる

人と関われば、失敗をする。
何でも一人でする方が気楽だし、時間も短縮できるし、思い通りにできる。
そんな風に考えていたし、今でも本当はそう思っている。

でも、人と関わることの良さを教えてくれたのはテニスだった。
私がミスしたペアを許すのは、自分が許して欲しいからだと分かった。
そして、ペアは、許してくれる。
ペアとの経験の積み重ねは、ペアとしか共有できない感情で彩られている。
泣きそうな気持ちであったこと、悔しくて言葉にさえできず黙り込んでしまったこと、それをバネにして練習していること、呼び込んだ勝ちの嬉しさ、手を離してしまった負け試合のもどかしさ。
そういう感情を、ペアは一緒に体験してくれて、そして共有してくれている。
人と関わる事は、失敗も多い。こわごわ手探りの時もある。こぼしてしまった言葉を取り返せない時の後悔は、深い。

でも、人と関わりたい、もっと深く関わりたい、と思うのは、テニスをしているおかげだ。

以前の私は、「もっと関わってきてよ!」と相手に願っているばかりだった。
今の私は、自分から関わっていこうとする姿勢を手にしている。

「ノミの心臓」とコーチがかつて私を揶揄した。試合が怖くて怖くてしかたなかった頃。
何も知らないという事は、大海原にオール1つで放り出されたのに近い怖さだった。
でも、方法を1つでも知ると、怖さが薄らぐ。ペアとの関係や経験が私を楽にしてくれる。
そういえば、このごろは、ノミの心臓と言われていない。
投稿者 きょう 21:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

球出しコーチ

コーチというものは、やはり、テニスをして見せてこそ、だと思う。
コーチAは、叱咤型の熱い男で、練習中、ポイントが終わるたびに何かを叫んでいる。
ここで指導を受けていれば、A級なんてあっという間よ?なんて平気で言ってのける。
コーチAの説明は納得できるが、かなり高度なレベルを求めている。
それを、実際にプレイして見せてくれれば、と最近、思わずにはいられなくなってきた。

コーチAは、球出しこそとても的確だが、生徒とラリーや試合をすることがない。自らは球出し専門で、生徒を4人コートに立たせ、ボールが途切れたところで、「こうすればよかった」などと言うばかり。
それどころか、コーチAが試合に出ることもないので、コーチがどのような打ち方をするプレーヤーなのか、実は誰も知らないのだ。

球出しの技術をみれば、かなり上手だったのだろう、とは思うが、やはりコーチAがテニスをしている姿を見たい。
そう思い始めてからは、コーチAがどんなに熱くフォーメーションを語っていても、なんとなく覚めた目で見てしまうようになった。
机上の空論、とまでは言わないが、やはり、オープンに出て、勝ったり負けたりをしているコーチの言葉の方に、より、リアリティを感じる。
同じように「ここでこうした方がいい」と言われても、実際に打って見せてもらえるのと、言葉だけで説明されるのでは、温度が違う。つまり、私の捉え方の緊迫性に差が出る。

試合に出ているコーチの言葉は、現実味を持って私の実際の部分に触れてくる感覚がある。
Aコーチが故障を重ねてプレーヤーから退いたことは聞いてはいるが、それでコーチ業が成り立っていいのだろうか。
いいという人もあるだろう。私は、Aコーチからは気持ちが離れ始めている。
投稿者 きょう 12:11 | コメント(0)| トラックバック(0)

確実性と積極性

確実にポイントを積み重ねていくテニスを教えるコーチと、
攻めるときには思い切り攻めるテニスを教えるコーチがいる。

攻めるときに攻めると、「ナイスボレー!」「ナイススマッシュ!」なんて言葉がかかって、後で思い返しても、活躍したなあ、とにんまり笑える場面が多く出てくる試合になる。
ただし、ミスや、ロブを抜かれたり、タイミングが合わなかったり、という、無理しすぎな場面も出てきてしまう。

確実にポイントを積み重ねるには、ロブを上げ、絶対自分からはミスをせず、相手のミスを誘うよう打ち続ける強靱な精神力が必要だ。
気持ちの揺れ幅が小さい分、無理をしないテニスができるが、忍耐力を試されるようなつらい試合展開になる。

どちらかと言えば、攻めるテニスをしたいと思っている。その方が、かっこいい。ナイスプレーをした私を思い返して、自信を持つこともできる。
でも、本当に勝ちたかったら、確実なテニスを教えてくれるコーチに従うべきなのだろう。
上のレベルの人と当たったときは、相手に絡んでこそ、なのに、早くポイントを決めたがって自滅してしまう弱さを持っている私は、特にそうなのかもしれない。
投稿者 きょう 00:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

テニスをする意味

何のためにテニスをしているか、と言えば、勝ちたいからだ、と即答できるのだけれど。
その意味を深く突き詰めてしまう夜は、要らないことを考えすぎる。

昨日はコーチが私を責めるので、レッスンがつらかった。関わろうとしてくれているのだ、と思えばまだ救われるが、私の方は、「だったらもっと教えてよ」と言いたい気持ちを飲み込んだままなので、会話は擦れ違うばかりだった。
相対的に見て、私は上達している。そこを褒めてくれればいいのに。責める事はないだろうに。
コーチには、純粋なまま、というか、競技に関わり、勝ち負けの世界にいる人達特有の、正直さがあって、それを、美しいと思うこともできるし、一歩ひいて見てしまうところもある。
社会にいる多くの人は、そこまで人に近づかないし、そこまで人に関わらない。
なのに、その関わり方が、私を上達させよう、という意識だけで成り立っていないから、問題がいろいろ発生する事になる。
私は、ただ、勝てるようになりたいのだ。もっと上を目指したいのだ。
でもコーチは、他のコーチとの関係性や、コーチのクラスのメンバーとの関係性や、私の純粋度や、そういういろいろなことを物差しとして持っている。

その差が、時々不協和音となり、耳をふさいで布団にくるまったままで居たくなる夜を連れてくる。

私は、ただ、上達したい。
コーチは、教えたいだけではなく、職業であり、男性だ。



そして、今日のクラスのコーチは、本当につまらなかった。
12月だとはいえ、1時間半、一面で6人のクラスで、汗を全くかかない事なんてあり得るだろうか。
どんどん体が冷えてきて、クラスの途中で早々にベンチコートを着込んでしまった。嫌味と受け取ってくれてもよかったのに、今日のコーチは、坦々とレッスンを続けていた。
コーチ一人が汗をかき、服を脱いでいた。
行かなければ良かったな、と思ってしまったレッスンだった。


他人にいろいろ求めず、自分がもっとしっかりと立っていられれば、私なりに有効な時間を使うこともできただろうに。
どうして私はこうなのだろう。
うまくいかないことへの不満を、コーチにすり替えようとしても、何も生み出さない事は、知っているつもりなのに。
投稿者 きょう 01:43 | コメント(92)| トラックバック(0)

親友の優勝

かつてペアを組んでいたMちゃんが、上の試合で優勝したとメールしてきた。
私の知らない人と組んで。

私と組んでいたときは、その下の試合でさえ、勝つことができなかったというのに。
おめでとー!と笑っているフリをしたメールを打った大うそつきの私は、Mちゃんの優勝した試合を検索して、かつての優勝者なんかを見て、さらに落ち込んでいる。

虚しい。

もし私がそのレベルで勝っているなら、Mちゃんの優勝を大喜びできるのに。
平常を保てない私の小ささと言ったら、もう。自分で自分が嫌になってしまう。
慌てるな、と言う私と、泣きそうな私とが、ふらふら入り交じっている。

いやになる。
私は私なりに上達してる。それは知っている。こんな所で焦っても何もならないことも知っている。
でも、焦燥する。
後何年テニスができるだろう。
私はいつか、Mちゃんに追いつき、追い抜くことができるのだろうか。
私はどこまで行けるだろうか。

6億円を稼ぐ野球選手がいて、私より年下のコーチがオープンで優勝していて、そんなことは認められるのに、身近なMちゃんの優勝は受け入れられない。それは、微妙な心の陰のせいだ。
私がずっとMちゃんを越えられないで来た、この今日までの口惜しさが情けなさと混じって私を責め立ててきた。Mちゃんを越えたい、と心の隅で思っていた。ずっと。

Mちゃんより幸せな部分を、テニス以外で見つけて慰めようとしている情けない自分でさえ、見守ってやらねばならない。

あー。
練習しよう。
もっとうまくなろう。
がんばろ。
投稿者 きょう 22:47 | コメント(0)| トラックバック(0)

雁行の前衛

ずっと疑問に思っていた事があった。
相手に先に平行陣を取られた時の、雁行前衛の攻め方について、だ。


雁行前衛について悩み出したきっかけは、平行対雁行のレッスンをしているとき、コーチに言われた事だった。
私は、雁行前衛だった。
「雁行前衛であるきょうちゃんが攻めようとしないから、雁行後衛が苦労している」
後衛が、クロスにボールを打ち、それをショートクロスにボレーされ、後衛が思い切り前へ走ってくるが届かなかった、という場面だった。

その時、私は、味方後衛の配球が悪い、と思っていた。
ところがコーチは、私がもっと動けば、敵は打つ範囲が狭められて苦しくなる、というのだ。
相手の球が浮いたら、すかさず前へ出ろ、と。

確かに相手の球が浮いたら、すかさず前へ出る、という意識は足りなかった。守る意識が9割を占めていた。
だが、どう動け、というのだ。相手がサイドに寄れば私もサイドを固め、センターにボールが行けばセンターに寄る。相手がハーフボレーをすれば、ポーチに行く。そのくらいしか思い浮かばなかった。



今日、分かった。
「後衛による」
が正解だった。
後衛が、ロブしか上げられないなら、前衛は怖くてしかたない。だからツーバックになるのがいい。
沈む球を何球も続けて打てるレベルの後衛なら、相手の球が浮いた瞬間にポーチに出ればいい。
慣れ親しんだ後衛なら、「3球は続けて沈めるから、その間にポーチに出ろ」などと作戦を立てるといい。

それを聞いて、ホッとした。
後衛の配球意図も分からないのに攻めるなんて無理だ。
コーチだって「怖いだろ!」と、パートナーになった生徒を叱る時がある。
先に平行陣を相手に組まれた雁行の前衛は、後衛を信頼できないと、とてもつとまらない怖い場所である。
投稿者 きょう 21:34 | コメント(0)| トラックバック(0)

ここまででいい、と思っているコーチ

私に、平行陣を教えてくれたコーチがいる
立ち位置、役割、攻め方、下がり方、
場面ごとに、本当によく教えてもらった
毎日が意欲に溢れていた

ところが、分からない事ばかりだった平行陣が、おぼろげながら見えてきた頃、コーチの勢いがダウンしているのを感じた
もっと教わりたいという気持ちが山ほどあったが、私は少しずつ諦めていくしかなくなっていた

コーチが私に教えてくれる量が、がくんと減った
私は上達したがりだったから、他の人にする説明を横から聞いて、私の場合はどうすべきかを考えた
コーチの代わりに、他のメンバーに聞いたりもした
もちろんコーチ自身に質問もしたが、答えをはぐらかされたり、言ってもできない、と言われたり、自分で考えろ、と言われたりした
コーチとの仲はいい
レッスン中も、世間話は盛り上がるし、飲みに行ったり、ランチに行ったり、レッスン後に缶コーヒーを買ってくれたりする
でも、教えてくれなくなった

私に教える、という熱が、コーチの中で急激に冷めていった感じがする
私が肘と肩に痛みを持っていることを知っていてくれて、無理するな、とさかんに言ってくれる
試合に出ても、勝ち負けよりも、体の調子を聞いてくれる

でも、体を心配してくれている、だけでは答えにならない不信感が、くすぶり続けている
オープンスタンスで悩んでいたころ、その答えを探すために、1ヶ月程考えていた事があった
ある時、別のコーチが、
「オープンと言っても、足が前向きなだけで、体はひねるんですよ」
と言った
私が質問をしたわけではなく、私の打ち方を見て、ふと呟くようにアドバイスをくれたのだった
その言葉が探していた鍵だった
そこから、面白いように謎がスルスルと解けていった

答えが分かって嬉しかった
きちんと打てるようになった私を見て、コーチは、
「よくなった」
と言った
一目見たらすぐ分かる変化だったのだろう
以前のコーチだったら、すぐに教えてくれた内容だった、と思う
それをなぜ教えてくれなくなったのか、は分からないままだ
コーチは何も言わない

コーチの、私に対して教える熱が下がった、としか思えない
大学生の男の子に、熱く指導している姿を見て、悲しく感じた
以前なら、私もこんな風に熱く教えてもらっていた


「もう、ここまででいい」
コーチが私に対して、そう感じているように思える

私は勝てるように、なりたいし、上達の為に一貫した指導者が欲しい
「自分で考えさせる」という指導は、放任して成り行きを見ている事とは全く違うはずだ
私が必要とする指導者と出会う為には、様々な条件が必要だったりする
テニス、以外の所で、案外、難題山積だ
投稿者 きょう 00:50 | コメント(0)| トラックバック(0)

弱気になる時

コーチがいつも、「友達から自分のいいところと悪いところを教えてもらえ」という。
自分では、自分の事は分からない。
人から見た自分の姿を聞いて、総合的に自分のいいところ、悪いところをまとめることが大切なのだ。

今日、ペアを組んでいる友達から、私が試合中に弱気になる理由を教えてもらった。
相手前衛が気になってしかたない私は、後衛でいるとき、よくロブを上げる。
何もしていない前衛がどうしてこんなに怖いのか、自分でも不思議になるほどだった。その理由を教えてもらうことができた。
「一度の相手のナイスボレーにショックを受けて、すぐ自分を変えようとしている」のだ。私は。
これを言われたとき、これほど本当の私の姿を的確に表した言葉はない、と思った。その通りだった。
「でもね、相手のナイスボレーは、自分のミスではないのよ、相手だってたまにはナイスボレーを打つ。それは相手のナイスなの。きょうちゃんがショックを受けて、自分のプレーを変える必要はないの」
泣くか、と思った。
そう。私は、相手のナイスプレーにショックを受けて、ナイスプレーをさせないよう、させないよう、逃げていく。
そして、どんどん打つ場所がなくなっていく。
「いつも通りの姿勢で、普通に続けていけばいいのよ」

自分の姿と、自分の方向が、一度に見えたありがたい言葉だった。
弱気、というのは、こういう気付かずにしてしまっている小さな行動の積み重ねが、雪崩れた時に起こる。
投稿者 きょう 00:09 | コメント(0)| トラックバック(0)

友達が先に飛び出した

一緒にレッスンを受けている友達に、試合会場であったので、
「出ていたの?」
と話しかけた。

ところが友達が、おかしな空気をまとっている。
何だろう、と思ったけれど、試合前だし、あまり詮索しない方がいいかな、と判断して、当たり障りのない話をして笑っていた。
そして最後に友達が、
「今日はこちらのクラスなの」
と指したのは、私が出場するクラスの1つ上のレベル。

「泣かされてくるね!」
と卑下するように友達が言うから、
「あまり泣かさないようにね!」
と私も笑った。友達も笑った。

私は、1つ下のクラスに出ることをそんなに気にしていなかったはずだったのに。
いつまでもわだかまっている。

私と友達は同じようなレベルで、レッスンでは勝ったり負けたりする。
友達がまとっていた違和感は、私に対する遠慮ではなく、自分が上のレベルに出場する、そのやる気を自嘲したから、だと感じている。
とすると、私は何に対してわだかまっているのか。

それが今分かった。
挑戦しない私、に対してだ。
怖がっている私、に対してだ。
当たって砕けることを畏れる私、に対してだ。

私はいつまでこうしているつもりなのだろう。
私自身を自分で責めるのは愚かだと分かっているつもりなのに、友達が気楽に挑戦している事が、臆病な私を露わにするので、私を苦しめる。
投稿者 きょう 23:19 | コメント(0)| トラックバック(0)

勝ったけれど

草トーで優勝した
プリンスの今年のバックをもらった

嫌な試合だった。
最初の方がいい私だった。
決勝では、すっかり怖じ気づいてしまって、決められるチャンスを何度も無駄にし、相手のバックハイボレーを狙ってゆるゆるロブを上げた。
最近負けていたから、どうしても勝ちたかった。その気持ちが私たちの方が強かったから、こちらに転んだ試合だった。
でも、どちらに転んでもおかしくなかった。
「逃げ切った」という勝ち方。

相手の方が、ずっと攻めていた。私の好きなテニス、前向きなテニス、練習したことを活かせているテニスをしていた。
逃げ切れたからよかったが、追いつかれたら、私に手はなかった。

勝ったのに。
嬉しくない。
プリンスのバックをもらえたことが嬉しいだけで、後悔の残る試合をしてしまった。

勝ったんだから、いいよ、これも1つの作戦だよ、と言ってくれる人もいる。
でも、この勝ちは、明日につながらない勝ちだった。
それを活かすには、「ああいう試合は、もうしない」という方向しかない。

試合中におびえている自分が、何より嫌だ。
そんな自分も自分だと認めてやらないと、自分が可哀相だ。
だが、常におびえた試合をするなら、自分がもっと可哀相だ。
暗闇だが、方向を探らなければならない。
投稿者 きょう 09:49 | コメント(0)| トラックバック(0)
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