2006年12月19日
テニスをする意味
何のためにテニスをしているか、と言えば、勝ちたいからだ、と即答できるのだけれど。
その意味を深く突き詰めてしまう夜は、要らないことを考えすぎる。
昨日はコーチが私を責めるので、レッスンがつらかった。関わろうとしてくれているのだ、と思えばまだ救われるが、私の方は、「だったらもっと教えてよ」と言いたい気持ちを飲み込んだままなので、会話は擦れ違うばかりだった。
相対的に見て、私は上達している。そこを褒めてくれればいいのに。責める事はないだろうに。
コーチには、純粋なまま、というか、競技に関わり、勝ち負けの世界にいる人達特有の、正直さがあって、それを、美しいと思うこともできるし、一歩ひいて見てしまうところもある。
社会にいる多くの人は、そこまで人に近づかないし、そこまで人に関わらない。
なのに、その関わり方が、私を上達させよう、という意識だけで成り立っていないから、問題がいろいろ発生する事になる。
私は、ただ、勝てるようになりたいのだ。もっと上を目指したいのだ。
でもコーチは、他のコーチとの関係性や、コーチのクラスのメンバーとの関係性や、私の純粋度や、そういういろいろなことを物差しとして持っている。
その差が、時々不協和音となり、耳をふさいで布団にくるまったままで居たくなる夜を連れてくる。
私は、ただ、上達したい。
コーチは、教えたいだけではなく、職業であり、男性だ。
そして、今日のクラスのコーチは、本当につまらなかった。
12月だとはいえ、1時間半、一面で6人のクラスで、汗を全くかかない事なんてあり得るだろうか。
どんどん体が冷えてきて、クラスの途中で早々にベンチコートを着込んでしまった。嫌味と受け取ってくれてもよかったのに、今日のコーチは、坦々とレッスンを続けていた。
コーチ一人が汗をかき、服を脱いでいた。
行かなければ良かったな、と思ってしまったレッスンだった。
他人にいろいろ求めず、自分がもっとしっかりと立っていられれば、私なりに有効な時間を使うこともできただろうに。
どうして私はこうなのだろう。
うまくいかないことへの不満を、コーチにすり替えようとしても、何も生み出さない事は、知っているつもりなのに。
その意味を深く突き詰めてしまう夜は、要らないことを考えすぎる。
昨日はコーチが私を責めるので、レッスンがつらかった。関わろうとしてくれているのだ、と思えばまだ救われるが、私の方は、「だったらもっと教えてよ」と言いたい気持ちを飲み込んだままなので、会話は擦れ違うばかりだった。
相対的に見て、私は上達している。そこを褒めてくれればいいのに。責める事はないだろうに。
コーチには、純粋なまま、というか、競技に関わり、勝ち負けの世界にいる人達特有の、正直さがあって、それを、美しいと思うこともできるし、一歩ひいて見てしまうところもある。
社会にいる多くの人は、そこまで人に近づかないし、そこまで人に関わらない。
なのに、その関わり方が、私を上達させよう、という意識だけで成り立っていないから、問題がいろいろ発生する事になる。
私は、ただ、勝てるようになりたいのだ。もっと上を目指したいのだ。
でもコーチは、他のコーチとの関係性や、コーチのクラスのメンバーとの関係性や、私の純粋度や、そういういろいろなことを物差しとして持っている。
その差が、時々不協和音となり、耳をふさいで布団にくるまったままで居たくなる夜を連れてくる。
私は、ただ、上達したい。
コーチは、教えたいだけではなく、職業であり、男性だ。
そして、今日のクラスのコーチは、本当につまらなかった。
12月だとはいえ、1時間半、一面で6人のクラスで、汗を全くかかない事なんてあり得るだろうか。
どんどん体が冷えてきて、クラスの途中で早々にベンチコートを着込んでしまった。嫌味と受け取ってくれてもよかったのに、今日のコーチは、坦々とレッスンを続けていた。
コーチ一人が汗をかき、服を脱いでいた。
行かなければ良かったな、と思ってしまったレッスンだった。
他人にいろいろ求めず、自分がもっとしっかりと立っていられれば、私なりに有効な時間を使うこともできただろうに。
どうして私はこうなのだろう。
うまくいかないことへの不満を、コーチにすり替えようとしても、何も生み出さない事は、知っているつもりなのに。