2007年01月08日
2位
ものすごくラッキーなドローだった
強敵は全部反対側の山に集まってくれたので、優勝者が次々となぎ倒してくれた。
私の山は、申し訳ない、という程の楽勝だった。
もし反対側の山の3位、5位の人と当たっても勝てたかは分からない
そんなラッキーなドローであったおかげで、2位になれた。
運ってあるよね
3位の人の恨めしそうな顔を見ないことにする。
それにしても、ものすごく楽、という試合は1つしかなかった。
後は、それぞれに、3-3くらいまでとても苦しかったり、2-4からひっくり返したり、と苦労して取った。
あの、試合中のつらい気持ちに名前はあるのだろうか。
「葛藤」が近いのだろうか?
不安や恐れや、集中できない混沌とした精神。
そういうものと1つ1つ向き合い、今の私がどういう状態であるかを探り、理解し、認めてやらなくてはならない。
それを一球毎に確認し、訂正し、自分を認め、かといって無謀にならないよう自重もする。
こんな対話を延々と続けるので、精神的に本当に疲れる。
序盤は緊張しているのを解きほぐす方向だから、これが早くできないと挽回できない所まで進んでしまう。
途中のゲームは、ランナーズハイ、のような高揚感があって、勝てないわけがない、というような意識まで感じることができる。このころは、楽しい。
勝ち進むに従って、対戦相手がどんどん強打型になってくれればいいのだが、途中でぽわーん、とした当てるだけのストロークをしてくる人と当たったりすると、私の高揚感と合わなくて、「どうして?」「どうして?」を連発したまま、混乱した状態で負けてしまうことになる。
この辺りで、自重へと切り替えられるかが、鍵だ。
そして終盤。
「相手は強い」
いつも私はこの意識を捨てることができない。
勝手に怖がって、一人で決めたがって、自滅する。
ここで、怖さを感じながらも相手に絡んでいけるようになる事が、大切だとつくづくつくづく思う。
特にストロークが強打型で、思い切り打ち込まれ続けると、悲しくなってしまい、逃げ道を探したがる。
ここで我慢ができるようになれば、優勝だってできるはずなのに。
「きょうちゃん、上手なのに」
とは、本当に何度も聞いて耳を塞ぎたくなってしまう感想である。
強敵は全部反対側の山に集まってくれたので、優勝者が次々となぎ倒してくれた。
私の山は、申し訳ない、という程の楽勝だった。
もし反対側の山の3位、5位の人と当たっても勝てたかは分からない
そんなラッキーなドローであったおかげで、2位になれた。
運ってあるよね
3位の人の恨めしそうな顔を見ないことにする。
それにしても、ものすごく楽、という試合は1つしかなかった。
後は、それぞれに、3-3くらいまでとても苦しかったり、2-4からひっくり返したり、と苦労して取った。
あの、試合中のつらい気持ちに名前はあるのだろうか。
「葛藤」が近いのだろうか?
不安や恐れや、集中できない混沌とした精神。
そういうものと1つ1つ向き合い、今の私がどういう状態であるかを探り、理解し、認めてやらなくてはならない。
それを一球毎に確認し、訂正し、自分を認め、かといって無謀にならないよう自重もする。
こんな対話を延々と続けるので、精神的に本当に疲れる。
序盤は緊張しているのを解きほぐす方向だから、これが早くできないと挽回できない所まで進んでしまう。
途中のゲームは、ランナーズハイ、のような高揚感があって、勝てないわけがない、というような意識まで感じることができる。このころは、楽しい。
勝ち進むに従って、対戦相手がどんどん強打型になってくれればいいのだが、途中でぽわーん、とした当てるだけのストロークをしてくる人と当たったりすると、私の高揚感と合わなくて、「どうして?」「どうして?」を連発したまま、混乱した状態で負けてしまうことになる。
この辺りで、自重へと切り替えられるかが、鍵だ。
そして終盤。
「相手は強い」
いつも私はこの意識を捨てることができない。
勝手に怖がって、一人で決めたがって、自滅する。
ここで、怖さを感じながらも相手に絡んでいけるようになる事が、大切だとつくづくつくづく思う。
特にストロークが強打型で、思い切り打ち込まれ続けると、悲しくなってしまい、逃げ道を探したがる。
ここで我慢ができるようになれば、優勝だってできるはずなのに。
「きょうちゃん、上手なのに」
とは、本当に何度も聞いて耳を塞ぎたくなってしまう感想である。
投稿者 きょう 12:17 | コメント(0)| トラックバック(0)
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