2006年11月12日
目を見て話すコーチ
テニスコーチの立ち居振る舞いの中で、一番好きで、さすがだなと感じるのは、私の目をのぞき込むように、見つめてくれる所だ
サーブを教えてくれるときに、コーチが、
「もう少し、前へ押し出すようにすると威力が出ますね」と言う
「はい」
と言いながら私は前へ押し出す、というイメージを想像しようとする。が、この時点では、どう行動に移せばいいのか、どんなタイミングか、具体的には何もない。20点くらいである
そんな私の「はい」という返事の色と、目を見て、コーチは言葉を重ねる
「今の打ち方では、回転がかかりすぎているんです、回転をかけようとしすぎて、打った後、頭が下を向いてしまう。もう少し、前へ打つイメージですね」
「前へ…」
私は、頭で言葉を反芻する
なんとなくコーチの言いたいことは感じられるが、まだ30点くらいである
よく考えないと行動には移せない
コーチは、私の目を見て、ボールを手にする
「今の打ち方は、こんな風です」
そう言って、私の打ち方でサーブを打って見せてくれる
「!」
言葉にはできないが、感覚として染みこむように理解できた気がする。70点くらいである
コーチが、よし、という目をする
「それをこんな風に、少し前へ押すんです、少しですよ」
コーチが打つサーブの姿勢を後ろから見て、同じようにしよう、と考える。85点くらいである
早く打ってみたいと思う
コーチは私の方へ向き直り、打点の位置を示してくれる
「少し前へ、ですね」
「そうです」
このとき、私はコーチが伝えたかったことを、言葉にはできないが、感覚では理解している
それを実践して、体で感じたいと思っている。90点くらいである
そしてボールを3球打ってみる
2球目で、「あ、今の感覚かな」と思ったと同時に、コーチが「そうです!」と後ろから声をかけてくれる
サーブはフォルトだった
「その感覚で打っていると、回転がちょうどよくなってきて入るようになるんです」
ここで95点
その後練習を繰り返して、サーブが入るようになったら100点
こんな風に、コーチは私の状態を的確に判断し、適切な助言を与えてくれる
コーチの目が、私をよく知っていてくれる、と信じられる
コーチにとって私は透き通って見えるのかもしれない、と考えて、小さく笑う
そういう感覚は、それを知り尽くしている人からしか感じられないから、私は小さな小さな生徒になって、コーチの教えを感じ取る為にだけ、存在できる
教わる事は、この上ない喜びだ
敢えて書くけれど、恋、ではなく、教わる事が喜び
日常では、多くの人が話しすぎる
今日も、不満をずっと聞かされて、心底参った
不満を言いたい気持ちはよく分かるから、話せば楽になるのだろう、と私はずっと聞いていた
でも、あまりに多くの言葉を立て続けに、機関銃のように次々発射されると、それを受け止めることができなくなる
話すその人をじっと見つめ、言葉の合間に相づちを打ち、頷いて共感を示し、その人の怒りの度合いや、悲しみの深さを感じる
でも、解き放たれた言葉の1つ1つを理解したり、共感したりする事はとてもできない
速すぎる
そういう話し方をする人と居て、今日は本当に疲れてしまった
そう言うときに、コーチの、私を見て話す、こういう姿勢を、すごくいい、と思う
人間関係において、とても大切で、そしてとても忘れられがちな部分だ
多くの人が、自分自身の気持ちに精一杯で、相手の存在を置き去りにしがちなので
テニスコーチは、私の反応を見て、言葉を足したり、打って見せたり、させてみたり、してくれる
一言で分かったときは、そこでアドバイスを止めてくれる
そういう能力は、テニスコーチに関わらず、指導者として、とても大切な要素だろう
相手の様子を見ながら、接してくれる人のいる嬉しさと、その難しさを思う
サーブを教えてくれるときに、コーチが、
「もう少し、前へ押し出すようにすると威力が出ますね」と言う
「はい」
と言いながら私は前へ押し出す、というイメージを想像しようとする。が、この時点では、どう行動に移せばいいのか、どんなタイミングか、具体的には何もない。20点くらいである
そんな私の「はい」という返事の色と、目を見て、コーチは言葉を重ねる
「今の打ち方では、回転がかかりすぎているんです、回転をかけようとしすぎて、打った後、頭が下を向いてしまう。もう少し、前へ打つイメージですね」
「前へ…」
私は、頭で言葉を反芻する
なんとなくコーチの言いたいことは感じられるが、まだ30点くらいである
よく考えないと行動には移せない
コーチは、私の目を見て、ボールを手にする
「今の打ち方は、こんな風です」
そう言って、私の打ち方でサーブを打って見せてくれる
「!」
言葉にはできないが、感覚として染みこむように理解できた気がする。70点くらいである
コーチが、よし、という目をする
「それをこんな風に、少し前へ押すんです、少しですよ」
コーチが打つサーブの姿勢を後ろから見て、同じようにしよう、と考える。85点くらいである
早く打ってみたいと思う
コーチは私の方へ向き直り、打点の位置を示してくれる
「少し前へ、ですね」
「そうです」
このとき、私はコーチが伝えたかったことを、言葉にはできないが、感覚では理解している
それを実践して、体で感じたいと思っている。90点くらいである
そしてボールを3球打ってみる
2球目で、「あ、今の感覚かな」と思ったと同時に、コーチが「そうです!」と後ろから声をかけてくれる
サーブはフォルトだった
「その感覚で打っていると、回転がちょうどよくなってきて入るようになるんです」
ここで95点
その後練習を繰り返して、サーブが入るようになったら100点
こんな風に、コーチは私の状態を的確に判断し、適切な助言を与えてくれる
コーチの目が、私をよく知っていてくれる、と信じられる
コーチにとって私は透き通って見えるのかもしれない、と考えて、小さく笑う
そういう感覚は、それを知り尽くしている人からしか感じられないから、私は小さな小さな生徒になって、コーチの教えを感じ取る為にだけ、存在できる
教わる事は、この上ない喜びだ
敢えて書くけれど、恋、ではなく、教わる事が喜び
日常では、多くの人が話しすぎる
今日も、不満をずっと聞かされて、心底参った
不満を言いたい気持ちはよく分かるから、話せば楽になるのだろう、と私はずっと聞いていた
でも、あまりに多くの言葉を立て続けに、機関銃のように次々発射されると、それを受け止めることができなくなる
話すその人をじっと見つめ、言葉の合間に相づちを打ち、頷いて共感を示し、その人の怒りの度合いや、悲しみの深さを感じる
でも、解き放たれた言葉の1つ1つを理解したり、共感したりする事はとてもできない
速すぎる
そういう話し方をする人と居て、今日は本当に疲れてしまった
そう言うときに、コーチの、私を見て話す、こういう姿勢を、すごくいい、と思う
人間関係において、とても大切で、そしてとても忘れられがちな部分だ
多くの人が、自分自身の気持ちに精一杯で、相手の存在を置き去りにしがちなので
テニスコーチは、私の反応を見て、言葉を足したり、打って見せたり、させてみたり、してくれる
一言で分かったときは、そこでアドバイスを止めてくれる
そういう能力は、テニスコーチに関わらず、指導者として、とても大切な要素だろう
相手の様子を見ながら、接してくれる人のいる嬉しさと、その難しさを思う